鳥山石燕(片岡鶴太郎)の〝画家論〟〝絵画論〟が面白い。
・三つ目(画家)にしか見えないものがある。
・絵師はそれを写すだけでいい。
・見えるやつ(画家)が描かなかければ見えないものは消えてしまう。
絵画とはこのようなもの。
画家の見ている世界を愉しむもの。
歌麿(染谷将太)は何を見る?
鳥山石燕の〝生き方論〟〝人生論〟が身軽でいい。
「描いているうちに何かが見えてくるさ。たぶん」
「たぶん? いい加減だなぁ」
「そのくらいでちょうどいいのさ」
いい加減のススメ。
歌麿は思い詰め過ぎる。
歌麿は囚われから解放されるのか?
こんなのもあった。
・歌麿のやっていることは〝苦行〟by ていさん(橋本愛)
・石燕は子供の頃の歌麿と絵を描いて〝楽しかった〟
石燕は子供のように遊んでいる。
これらの言葉、片岡鶴太郎さんが語ると説得力がある。
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蔦重(横浜流星)も身軽だ。
「俺、俺の絵を描きてえんです!」
歌麿が石燕の弟子として旅立っていくと、
「俺が間違っていた。花を咲かせるのは俺だと思っていたが、シロウトだったってことですね」
自分の力不足を素直に認める。
自分の分をわきまえている。
この時、ていさんは眼鏡を戻して泣いていた?けど、何を思ったのか?
蔦重というさわやかな男に惚れ直したのか?
歌麿に対する蔦重の友情に心を動かされたのか?
あれこれ考えてみたい行動だった。
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江戸城パートでは松平定信(井上祐貴)が本格的に登場!
質素倹約の人。〝黒ごま結びの会〟
現代で言えば「緊縮財政派」「財政規律重視派」
官僚型とも言える。
対する田沼意次(渡辺謙)は蝦夷地開発などの事業をおこなって
幕府の収入を増やしていこうとする人物。
現代で言えば「積極財政派」
企業家型とも言える。
経済理論としてはどちらも正しくて、経済状況に応じて使い分けていくべきなのだが、
この政争に使う人物が。
一橋治済(生田斗真)だ。
佐野政言(矢本悠馬)に続いて定信を操ろうとしている。
定信は経済の考え方が違うし、意次に恨みを持っている。
そんな定信にもの申す権力を与えたら〝反意次勢力〟になってくれるに違いない。
黒幕に徹して傀儡師のように人を操る一橋治済恐るべし!
大雨の中で踊り狂う治済!
折しも利根川が決壊。
これで政論は夢のような蝦夷開発でなく、地に足のついた治水に傾くのだろう。
・将来を見据えた政策(=蝦夷地開発)か?
・吃緊の課題を解決する政策(=治水)か?
政治ドラマも面白くなって来た。
※追記
ていさんが訂正していた「濡れ手で粟」
僕は「濡れ手に粟」が正しいと思っていたから広辞苑を引いてみた。
「濡れ手に粟」という言い方もあるが、「濡れ手で粟」の方が正解らしい。
※追記
山東京伝の黄表紙の「仇」という文字を見て、
〝佐野政言〟ではなく〝田沼意次〟を想起する松平定信。
文芸は読む人によって解釈が違って来るんですね。