『写楽殺人事件』(高橋克彦・著)を読んだ。
「東洲斎写楽改近松昌栄画」と書かれている掛軸が偶然発見されて、浮世絵界が「近松昌栄=写楽」と沸き立つ物語だ。
果たして近松昌栄は写楽なのか?
真相は原作を読んでいただくとして、主人公は、写楽の正体を特定するために押さえるべき項目を7つあげている。
写楽の正体を特定するために押さえるべき項目
①写楽が活躍した時期にその人物がほとんど仕事をしていないこと
②蔦屋重三郎とのつながりが密接であったという証拠・可能性があること
③絵を描いたという証拠があること
④なぜ〝東洲斎写楽〟と名乗らなければならなかったのか?
⑤なぜ蔦屋や当時の人々が写楽の正体について何も遺さなかったのか?
⑥なぜ写楽は筆を折ったのか?
⑦なぜ蔦屋は無名の写楽を起用したのか?
これらの項目すべてがクリアになった時、近松昌栄が写楽であったことが証明できるのだ。
そして推理
主人公たちは調査をおこない、以下のことを突き止める。
・近松昌栄が秋田藩出身であること
・秋田藩が田沼意次と密接な関係があったこと
・蔦屋のパトロンが秋田藩であった可能性があること
朋誠堂喜三二は秋田藩出身。
・当時、秋田藩は文化に力を入れていて蘭画が描かれていたこと
・秋田藩に蘭画を教えたのは平賀源内であったこと
つまり──
秋田藩(佐竹氏)=蘭画=平賀源内=田沼意次=喜三二=蔦屋重三郎
すべてが繋がって来た。
そして推理。
主人公は、田沼意次が失脚して松平定信の時代になり、蔦重や喜三二が苦境に陥ったことに着目し、写楽について以下のような仮説を立てる。
・写楽誕生の裏には松平定信と対立する田沼グループの存在があった。
・無名の絵師が蔦重の力で人気者になれば蔦屋の凄さがもう一度江戸中に伝わる。
・それは定信の寛政の改革の否定になる。
・定信に対する蔦重たちの自己主張にもなる。
・ただし、このことがバレると秋田藩や旧田沼派に類が及ぶので蔦重は写楽の正体を隠した。
この写楽を誕生させた動機は『べらぼう』にも通じるものがある。
おそらく『べらぼう』は『写楽殺人事件』のこの説をもとに製作されたのではないか?
では写楽の正体は近松昌栄なのか?
それはぜひ原作を読んで確かめてみて下さい。
ミステリーとしても歴史小説としても実に面白い作品です。